脊髄小脳変性症 ( SCD ) と診断されました。
SCDは小脳および脳幹から脊髄にかけての神経細胞が徐々に破壊、消失していく病気で、運動失調を主症状とする神経変性疾患の総称で、難病指定されている、現在の医学では治る見込みのない病気です。
父が遺伝性のSCDで2016年に69歳で亡くなっており、ついに来たかという感じです。
十数年前から遺伝する確率50%なのはわかっており、とうの昔に覚悟は出来ていたんでショックは全くなかったです。
ただ、周りの人達への影響というか、迷惑を掛けることになって申し訳ないなという気持ちが大きいです。
私の場合は、歩くときにふらつく、急な姿勢変化で転倒しそうになる、物が二重に見える、起立性低血圧、飲み物で時々むせるなどです。
一番辛いのは職場の朝礼、駅のホーム、喫煙所とかでただ立っている時です。
特に周りの目がある時に顕著で、バランス取ろうとホント必死です。
何年も前から症状があったものの、SCDと診断とされたところで治る見込みがないので放っておいたんですが、最近になって下り階段が怖くなったのと、色んな人から病院に行ったほうが良いと言われ、ようやく重い腰を上げて病院に行った次第です。
行くと決めたらそこからの行動は早いです。
でも今はいきなり大病院には行けなくて、まずは紹介状なしで行ける脳神経内科を探し、脳のMRIを撮ってもらいました。(八王子クリニック新町)
見事に小脳が萎縮しており、さまざまな症状、父が遺伝性のSCDであることから、SCDに間違いないが、大きな病院で遺伝子検査をして確定診断してもらいましょうということで紹介状を書いてもらい、昨日会社を休んでNCNP病院に行ってきました。(ここまで約1ヶ月。遺伝子検査は大病院でしかやっていないのでにいきなり行けないって時間とお金の無駄使いだよね。特に八王子クリニック新町受診3回分の時間を奪われたのに腹がたつ)
NCNP病院の担当医は若い、感じの良い先生でした。
最初2週間の検査とリハビリ入院を勧められましたが、さすがに2週間は厳しいので(とはいってもいざという時は休むしかないですが)、しばらく通院することになりました。
昨日は様々な運動機能の検査をして、まず間違いなくSCDでしょうと診断されました。
そして運よくカウンセラーの時間が空いていて、遺伝子検査について説明を受けたあと(私の場合SCDと診断が出ているのと、子供がいないのでカウンセリング的なものはなかったです)、遺伝子検査と血液検査のための血液採取7本 ( !! ) 取ってもらいました。
遺伝子検査は結果が出るまで1ヶ月掛かるそうです。(外部機関に委託するそうです。それなら小さな病院でも頼めるんじゃないの?)
私の場合、まだ日常生活に支障はないですが、SCDと診断されてから、意識して体を鍛えたり、バランス感覚を鍛えるために継ぎ足歩行や片足立ちの練習をするようになりました。
たぶんですが私の症状がまだこの程度で済んでいるのは、20代の頃に馬鹿の一つ覚えのように鍛えた筋肉貯金のおかげなんです。
あと、手の症状が軽いのはギターを弾いているおかげだと思います。
出来るだけ長く自力歩行したいですからね。
そのためには健常者以上に意識して体を鍛えないと。(転倒には気をつけながら)
この病気は諦めたら終わりだということを父を見てきて痛感しています。
父の場合は構音障害もひどく、胃ろうにしてからは入れ歯も取ってしまったんで、意思の疎通が大変でした。
コミュニケーションボードを使っても、思った場所を指せないんですよ。
だから諦めちゃうんです。
その時の悲しそうな、無念そうな表情を見るとやるせなかったですね。
最終的にはコミュニケーションボードを使うのはやめて、父は何を求めているんだろう、何が言いたいんだろうと父の気持ちに寄り添って推測して、なんとか理解できるようになりました。(気がするだけかも知れない)
先ほど触れましたが、胃ろうはだめです。
一気に体力が落ちて痩せ細ります。
ただ単に生かされているだけ。
口からものを食べることがいかに大切か、思い知らされました。
嚥下障害による窒息や誤嚥性肺炎を予防するためで、母によると入院していた療養型病院の方針が変わって、胃ろうをする事が入院を継続できる条件だったので仕方がなかったそうなんですが。
私はそんな父の姿を目の当たりにしているんで、胃ろうだけはしたくないですね。
そこまでして長生きする意味ってあるんでしょうか。
長くなってしまいました。
あとは心境の変化ですかね。
もう無理して誤魔化す必要は無くなったんで気が楽になりました。
そして残された時間を大切にしたいですね。
だから仕事はほどほどにしてプライベートの時間を増やすことにしました。
65歳の定年まであと12年か。(その頃には定年は伸びてるでしょうけど)
なんとか勤め上げたい。